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4年ぶりの「堰さらい」は、厳しい災害復旧となる。

2023/05/14
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4年ぶりの「堰さらい」は、厳しい災害復旧となる。

故人を偲ぶ話もこれくらいにしたいと思っていたら、
ゴールデンウィーク明けに、またもや訃報が届いた。

5月7日(日)、
かごしま有機生産組合の会長・大和田明江さんが亡くなった、
との知らせである。

3月に行なわれた夫・世志人さんを偲ぶ集まりでは
体調思わしくなく欠席となっていて、
「どうもよろしくない」とは聞かされていたが、
こういうふうに続くと、本当にこたえる。

明江さんとは何度もお会いしているが、ほぼ挨拶程度で、
ちゃんとお話をした記憶は一度しかない。
僕がフルーツバスケットに移ってしばらく後、
とある展示会でばったり遭遇してご挨拶したところ、
「丁度よかった!」と会場内の休憩スペースに誘われ、
テーブルに着くやいなや、
「さつま芋のジャムを作ってくれないか」と打診された。

かごしま有機さんなら、
静岡の工場に委託せずとも(輸送コストもかかるし)、
自力で取り組まれた方がよいのでは(真の六次化として)、
と申し上げ、話はそれっきりになってしまったが、
1、2年後に気がついたら、実現されていた
しかもちゃんと有機JAS認定のジャムである。
バネの強い、行動力のある方だと思った。。。

享年74歳。
世志人さんとも再会して、また楽しく(ときに激しく)
議論されていることを祈りたい。

 

気持ちは湿ったままだけど、
残った者がいつまでもくよくよし続けるわけにはいかない。
気を取り直して、ゴールデンウィークの報告をしたいと思う。

 

ここ20年ほど、僕にとってのゴールデンウィークの予定組みは、
福島は会津・山都町(現喜多方市)での「堰さらい」ボランティア
メインである。

ただフルーツバスケットに移ってから参加は飛び飛びとなって、
コロナによる中断もあり、再開された昨年は、
息子が九州(宮崎)に新規就農するという身内事情が勃発して
現地に行く羽目となり、参加できなかった。

しかし今年は「何としても行かねばなるまい」と思っていた。
そう決意させられる理由があった。

 

昨年の夏、8月3日から4日にかけてこの地を襲った
記録的な大豪雨によって、「本木上堰(もときうわぜき)」が
壊滅的な打撃を受けたのだ。

いたるところで土砂崩れが発生し、本木・早稲谷の集落は
一時、陸の孤島と化したと聞かされていた。

その後の調査で、がけ崩れや土石流による堰の埋没や崩落は、
人力では修復不可能な箇所だけで30ヵ所以上にのぼった。
つまり6kmの用水路がほぼ全線にわたって寸断されたのである。
喜多方市はその修復費用を2億2500万円、
修復には3年かかると試算した。

しかし災害箇所は山都町の広範囲に広がっていて、
「受益者の少ない場所に2億もかける必要があるのか」
といった声も上がったりして、
地元の人たちは、3年どころか、「もう復旧は無理だろう」と
思われたようである。

仮に3年で復旧できたとしても、その間、米は作れるのか?
農家はやっていけるのか?
限界集落とも言われたりする山間地にとって、
これは集落壊滅の危機といっても過言ではなかっただろう。

 

復旧の動きを後押ししたのが、この堰の「価値」である。

江戸時代中期、徳川吉宗の時代に11年の歳月をかけてつくられ、
その時代の高度な土木技術の跡がまだ残っている、
貴重な歴史遺産であること。

しかも開削以来270年以上にわたって
土地の人々の手によって守られてきたこと。
21世紀に入ってからはボランティアの参加によって
都市との交流が深まり、
お米やお酒がブランド化され経済効果も生んできていること。。。

それらが評価され、2011年3月、福島県が
「とくに後世に伝えたいふくしまの水文化」に指定した。
また昨年2月には、
農林水産省により「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ」
の一つに認定された。


(堰の途中に建てられた看板)

公式に価値を認めた以上、放置できないとあってか、
福島県は早々に復旧を進める方針を打ち出し、
国も9月には激甚災害指定(つまり復旧支援)を閣議決定した。
県職員は「歴史的価値を守る」と決意表明したという。

上堰と周辺棚田を守ろうと毎年ボランティアを受け入れてきた
「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」も、
諦めることなく、人力でもやれることをやろうと、
可能な限りでの復旧作業に当たってきた。

そして今年のボランティア募集である。
行くしかない、というものである。

 

5月3日早朝、フルーツバスケットのジュースを積んで、
函南から車を飛ばして一路、会津へ。
要所々々で長い渋滞に往生しながら、途中、
喜多方市内の大和川酒造店で交流会用の「種蒔人」を調達して
車に乗せ、夕刻6時ころ、山都町は本木集落に入る。

6時半~、全国から集まったボランティア作業員を対象に、
オリエンテーションが始まる。

 

この間の経過を説明するのは、
「堰と里山を守る会」代表の大友治さん、
この地に新規就農したパイオニアである。

僕が「若い頃は左翼運動やってたそうですよ」と紹介すると、
「いえ、極左です」と顔色も変えず訂正する、そんな方だ
(どんな方だ、ちゅーの)。

大友さんの説明で初めて知ったことは、
国の激甚災害指定による復旧期限は3年であること。
しかも新たな追加的工事は認められず、
あくまでも「原状復帰(元通りに戻す)」
が条件である、ということだ。
それでは新たな設備で強化したり変更する方法が採用できず、
具体的な工法はまだ国・県・市で協議中とのことで、
はたして3年で終えられるのか、
大友さんたちの心中は穏やかではないように窺えた。
なんだかな~ と、ボランティアたちも首を傾げたに違いない。

 

-で、明日の作業説明。
今回は4班に分かれての作業となる。

それぞれに作業開始地点と範囲が指定されるが、
例年と違うのは、落ち葉や土砂を浚(さら)うだけでなく、
堰をふさいだ木の伐採や倒木片づけ、それに
土嚢(どのう)積みといった修復作業が多いということだ。

思わず誰かが口にする。
「土木作業だね・・・」
笑いも起きたが、説明を聞いているだけで、
今回の作業のキツさが、いや、現状の厳しさが想像された。

僕は「本木チーム」に配属された。
浚いに土砂上げ、土嚢積み・・・腰に来そうだ。
しかしここまで来た以上、逃げ出せない。
奴隷となって、やるしかない・・・

 

オリエンテーション後は、懇親会。

各自持参したお酒やおかずを出し合い、
また浅見さんたち地元の人が用意してくれた山菜など
堪能しながら、旧知の人とは再会を喜び、
また新しい方々とは自己紹介し合い、
楽しい時間を過ごさせていただいた。

明日の作業を想定してか、例年より早く散会となり、
皆さんわりと大人しく就寝。

公民館の畳の上に、寝袋。
夜はさすがに、冷えた。

都市にいると見えない、この国の荒れゆく上流部。
そこにいて復旧作業にわずかのお手伝いをしながら、
あした、お前は何を考えるか・・・
浅い眠りが続いた。

続く。

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