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森は海の恋人

2019/06/28
  • あんしんはしんどい日記
  • 食・農業・環境
森は海の恋人

「森と川、海がつながり、鉄が供給されれば美しい故郷はよみがえる。」
「人の気持ちがやさしくなれば自然はよみがえる。」
  -『牡蠣の森と生きる ~「森は海の恋人」の30年~ 』
   (畠山重篤著、中央公論新社刊)より

鉄とはフルボ酸鉄のことである。

 

6月1日(土)、
早朝に函南を発ち、熱海から東京そして一関と
新幹線を乗り継いで、一関(岩手県)からは
軽のレンタカーを借りて東に走る。
1ヵ所寄り道をはさんで1時間半くらい走ったか、
宮城県気仙沼市に入る手前に矢越という地区があって、
そこから南に5分ほど走ったところで目的地に着いた。
「ひこばえの森交流センター」。

気仙沼は唐桑半島の牡蠣漁師、畠山重篤さんが、
30年にわたって上流の森に木を植えてきた拠点の場所。
今は「NPO法人 森は海の恋人」となって、
三男の信さんが事務局長として運営を担っている。

前には水車小屋があり、

敷地と森の境界には
「水神」と彫られた碑が建っている。

植林は明日なのだが、今日はここで
NPO法人の総会が開かれることになっている。
少し時間があったので、しばし森を散策する。
森に入る手前には炭焼き窯があった。

周りには戦後植林したと思われるスギ林が残っていて、
順々に伐っては広葉樹の森に作り変えてきたことが
推測される。

ようやく来たね、という感慨が湧いてくる。
最初に気仙沼に畠山さんを訪ねてから、かれこれ四半世紀。
何度も講演をお願いしたりしてきたのに、
植樹には参加したことがなかった。
企業の支援も受けて、千人を超えるお化けイベントになって、
遠慮もはたらいてしまっていた。
2011年、3.11のあと「植樹祭は実施します!」
と知らされた時は血も騒いだが、こっちはこっちで
放射能対策に追われまくっていた。
その時の参加者は1500人を超えたという。
みんな何かしないといられなかったんだろう。

 

午後3時、総会が始まる。
僕は正会員ではなく賛助会員なので、
議決権のないオブザーバー参加である。
活動内容や収支に口を挟む気はないので、
ただ総会の空気を楽しみながら報告を聞かせてもらった。

NPO法人としての活動は予想以上に多岐にわたり、
しかも頻繁に行われていた。
自然環境保全事業に環境教育事業に森づくり事業・・・
大学と連携しての環境調査では、震災によって創出した湿地で
新種の川エビが発見された。
キタノスジエビと命名されたそうだ。
生物多様性アクション大賞に安藤忠雄文化財団賞と、
新たな受賞歴も加わった。
すっかりぶっちぎりの活動歴である。

そして「これからは『まちづくり』が課題です」
と信さんは語る。
地元・舞根(もうね)湾では2012年に
巨大な防潮堤はつくらないと決定しているが、
ウナギが棲める天然石護岸づくりや
いったん作った護岸を撤去して湿地を保全するプログラムなど、
まだやることが山積していると。
植林も続けるが、これからは
間伐しながらの環境教育も組み入れていく必要がある。
森づくりには終わりがない。

畠山重篤理事長によるミニ講演。

「森は海の恋人運動」がスタートしたのは1989年、
平成元年9月の第1回植樹祭から。
以来30年、毎年欠かさず植樹を続け、
海での体験学習を受けた子どもは延べ1万人を超える。
その中から水産の道に進んだ子が何人もいる。

平成最後の植林となった昨年は、皇居でのお茶の会に招かれ、
天皇陛下から労いの言葉をもらった。
「森は海の恋人運動は、平成を代表する運動でしたね」

自然災害が続いた平成という時代にあって、
漁師たちによる森づくり運動は、山と海の生命の連関を
証明し、世界から称賛されるまでになった。
陛下のひと言に「涙しましたよ」と語る重篤さん。
平成から令和へと変わった今年は、
新たな天皇のお印(しるし:徽章、シンボルマーク)である
梓を用意した。
それを明日、3つの小学校の子どもらに植えてもらう。
未来に希望を託して。

思えばこの運動は、歌人・熊谷龍子さんによる歌を得たことで
大きな力が生まれた。

森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく

これからも、言葉の持つ力を信じ、
森里海の人のつながりを言葉で包み込んで
表現していきたいと、重篤さんは熱く語るのだった。

令和にあたり、改めて万葉集を紐解いて解説するくだりは、
いやもう文学者だ。脱帽。

総会後、海外からの取材に応じる理事長。

今や大学教授となった漁師、
世界に認められたフォレストヒーロー
(国連森林フォーラムが認定する “森づくりのノーベル賞” )。
いい笑顔ですね。

夕方からは懇親会。

植林地(一関市室根町矢越)の自治会区長さんによれば、
植樹も30年続いて、もう終わりにしようかと
若い人たちに相談したところ、これは地域の宝だと、
やめるわけにはいかないと言われたとのことだ。
地域の柱が底辺にあるから若者たちも帰ってくる。
Iターンも増えている。
この地区は人口が減っていないのです。
新たな気持ちで令和の植樹祭をスタートさせ、
一関と気仙沼の流域連携を育てていきたいと、
こちらも力強い。

 

そして翌6月2日(日)。
令和時代の植樹祭のスタート。
9時受付開始を前に、続々と人が集まってくる。

すみません、続きは次回に。

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