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“忘れない” を誓う日

2019/03/24
  • 丹那牛乳&酪農王国オラッチェ
  • 震災復興
“忘れない” を誓う日

3月はプレッシャーの月である。
年度末の総括に決算、来期予算編成、人事考課・・・
懸案だった就業規則の改定も終わらせたい。。。
中小企業のシャチョーが孤独とたたかう3月。
楽観主義者にならないと生きていけない。
何とか切り抜けよう。
母校の「21世紀枠」に励まされながら。

写真が貼りつけられただけのブログの下書き。
眺めても集中できず、一向に進まない。
つい先日のことなのに、
遠い昔の出来事のように思ったりする。
しかしこれも自分で自分に課した務めである。
書かないと前に進まない。
偉大なるイチロー君も言っているぞ。
「少しずつの積み重ねでしか自分を超えていけない。
 地道に進むしかない。」

 

3月8日(金)、親会社である
ORD(オーディ、オイシックス・ラ・大地㈱ の略称)
の社員20数名が丹那研修にやってきた。

丹那牛乳(函南東部農協)にフルーツバスケット、
そして酪農王国オラッチェ。この3社の歴史と
深いつながりを、新しい会社となったORDの
若い社員たちに、しっかり体感してもらう研修会。
今回の参加者は、元らでぃっしゅぼーやの人が多かったか。

まずは丹那牛乳・片野組合長のレクチャーから。

丹那盆地での130年に及ぶ酪農の歴史。
1982年、大地を守る会と出会い、
全国に先駆けて低温殺菌牛乳を開発したいきさつ。
その後の関係の深化に、らでぃっしゅぼーやとの提携
もあって、1997年の酪農王国建設へと発展したこと。
しかし草創期の王国の運営は厳しいものだった。
農協の経営まで危なくなるぞと、
金融部門を取り上げられるというどん底体験もした。
らでぃっしゅぼーやも途中で運営から身を引いた。
そんな苦難の時代を乗り越えて、今日まで来たこと。

「今はおかげさまで黒字でやってます」と笑いながら、
らでぃっしゅ~ のスタッフには耳の痛い皮肉も
一発かましてしまう組合長だった。
まあね。「逃げたなぁ、この裏切者~!」と言いたくなる
気持ちも分かるけど、もう昔の話だし、
何もここで若者たちに言わなくても・・・

気にしなくていいよ、君たちのせいじゃないんだから-
と陰でフォローする私。
でも覚えておいてほしい、とは思う。
人には消せない記憶というものがあることを。

低温殺菌牛乳の飲み比べと説明に続いて
工場から牛舎まで見学し、
酪農家たちと一緒にお昼を食べながら交流して、
午後はフルーツバスケットの概要説明。

ここは大地を守る会の歴史や理念を体現してきた場所
であると同時に、今では地域活性化を担う重要な拠点となって
進化を続けていること。
そしてそれを支え続ける関連会社がこの地にあることを、
オーディスト(ORD社員)たちも誇りにしてほしい・・・
そんなことを伝えた。
帰り際には、ORD3ブランドの合併に、生産者たちは
すんごく期待していることも忘れないでほしい、とも。
僕らには背負っているものがある、ということだ。
引き受けようじゃないか。

 

続く3月10日(日)。
東日本大震災から丸8年。今年も “忘れない” を胸に、
オラッチェではチャリティイベント
『被災していない 僕たちが頑張る!』が開催された。

 

地元の飲食店中心に出店が並び、
どのブースも売上の40%以上を義援金とする仕組み。
それに参加者のカンパも含めると、
1日で100万円以上集まるんだから、結構スゴイと思う。
義援金は毎年、宮城県石巻市に寄付されている。
ふるさと納税より、よっぽど偉いと思う。

 

今年も東北から届いた牡蠣が振る舞われる。
すっかり、このイベントに欠かせない一品になっている。
しかも今年は「全額寄付!!」という
思い切った牡蠣チャウダーまで登場した。

 

特設ステージではプロから子どもたちまで登場しては
歌やダンスが披露され、広場でも音楽の輪ができ、
動物たちも何だか嬉しがっているように見える。

 

地元高校の伝統芸能部による太鼓演奏。
彼らも毎年盛り上げてくれる。

 

そして午後2時46分。
黙とうに続いて曹洞宗の僧侶による法要が始まる。

一人一人の思いは各々異なるだろうけど、
“ 忘れない ” の思いはひとつにして、祈りを捧げる。
3.11後の数年、福島に通った日々を思い起こし、
湧き上がってくる怒りや悲しみや悔しさを抑えながら、僕も祈る。

実は、「被災していない僕たちが~」というコピーには
ずっと違和感を感じてきた。
それはその通りなんだけど、線を引かないでほしいな、
という気持ちになるのだ。
東日本も阪神も熊本も、いずれ来るであろう南海トラフも、
僕らは地つづきでつながっているわけで、
経験してない事態を「我が事」として受け止めるのは難しいけど、
せめて他人事への情けで終わらせないようにしたい。
特に原発事故は、すべての人が当事者であることを教えたはずだし、
福島と東京は今もって電線でつながっている。

 

忘れない、は背負って(あるいは腹にためて)生きることでもあり、
何がしかでも引き受ける、という生き方を迫るものでもあるか。
そんな気がしてきた。

ともあれ、伊豆半島の一角で、
今年も忘れずに祈った人たちがここにいる、とは伝えたい。

長くなったので、改めてここに貼りつけたいと思った詩を
次回に-。

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