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福島の農とくらしの再生と未来

2018/07/28
  • 生産者・産地情報
  • 食・農業・環境
福島の農とくらしの再生と未来

7月22日(日)は、渋谷の國學院大學を訪ねる。
ここで「日本有機農業学会」主催による
「福島の農とくらしの再生と未来 -農家・研究者・市民の連携から-」
と題した公開フォーラムが開かれたので、参加した。

原発事故から7年が経っても、
福島の復興はまだ遠いという印象がぬぐえない。
「除染」という名で剥がされた表土は行く先定まらないまま
フレコンの劣化が進んでいるし、
帰還が許されたからといって人々の不安は消えるわけでなく、
地域社会の復活はやはり厳しい。
何より福島第1原発の廃炉作業が危なっかしい。。。

それでも地道に歩み続けてきた取り組みと、営みがある。
とくに農地と生産物における放射能対策という面では、
数々の対策とデータの集積が行われてきた。
農家たちが主体となって取り組んだ事例としては、
僕も通ったジェイラップ(稲田稲作研究会)のスゴい成果がある。
彼らの執念に満ちた仕事は、紛れもなく未来への財産である。
いま思い返しても、涙が出そうになる。

そして、この人たちの粘り強い活動があった。
「日本有機農業学会」の研究者たちがチームを組み、
農家と連携して対策と調査・研究を繰り返しながら
貴重な知見を積み上げてきた、ということ。
それは、“主体はあくまで農家である” という現場主義を貫いた、
日本の学会というか学者の世界としてはけっこう稀有な、
偉業ともいえる活動である。

その、これまでの取り組みを総括的に報告するとともに、
福島の未来を考えようというシンポジウム。
冒頭で行われたのは、
学会研究者による調査のリーダー役を果たした
故野中昌法(まさのり)新潟大学教授を偲んでの黙祷だった。

野中さんは昨年6月に亡くなるまで、
病魔とたたかいながら福島に通い続けた。
「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」
という田中正造の言葉を座右の銘として、
水俣病患者に寄り添い続けた原田正純医師とも交流のあった方。
その現場ファーストの姿勢に惚れて、
大地を守る会の生産者会議にお呼びしたこともあった。

今回のフォーラムは、
そんな野中さんに引っ張られるように現場に足を運び、
生産者とともに歩いた研究者たちの、
まだ模索途上とも言える経過報告の場でもあったのだ。

有機農業学会の研究者たちによる
「生産者とともに」の動きが本格化したのは、
2011年5月6日の「被災地支援と生産者との交流会
が起点だった。
僕は福島で生産者たちと深刻な会議をやった後、
学者でもないのに合流させていただいた。
学者たちが生産者と交流して何をしてくれるのかという
冷めた感情を隠し持ちつつも、
専門家たちの協力はあの時、どうしても必須だったのだ。

野中さん率いる新潟大学を筆頭として、
福島大、茨城大、東京農工大・・・
たくさんの研究者と学生たちが二本松や南相馬、飯館に通っては
分担しながらデータを取り、農家と対策を話し合う
という作業を積み重ねた。
それは農家のみならず、そこに暮らす人々に
希望と勇気を与える作業にもなった。

有機農業学会の研究者は農学関係の専門家であって、
放射線の専門家ではない。
しかし土壌学や林学等の知識と融合したからこそ、
現場で生きる対策が可能になったのである。
「しっかりと耕し、有機物を施すことが放射能対策でも有効である」
 - これはやっぱ、歴史的発見だろう。

フォーラムでは7名の研究者からの発表があった。
もう詳細は省きたい。
興味ある方は、コモンズから発行された
農と土のある暮らしを次世代へ ~原発事故からの農村の再生~
に整理されているので、ぜひご一読をお願いしたい。

野中さんの業績を改めて噛みしめるだけでなく、
ここに「福島の奇跡」が記されている。

 

農の現場と学の連携が有機農業の力を証明しつつあることに
感謝したい。
しかし放射能対策はまだ終わらない。
気の遠くなるような調査がまだまだ続く。
そしてその集積が人類の未来を救うのである。

 

フォーラムの中で、復興への思いを熱く語る
二本松の生産者、菅野正寿さんがいた。

会議後の懇親会で、僕は菅野さんに
二本松訪問を約束した。久しぶりに会いたい人もいるし。
プランはすぐに決めた、この夏のうちだ。

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