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熊本地震1年、丹那断層の前で

2017/04/14
  • かんなみ百景
  • 震災復興
熊本地震1年、丹那断層の前で

熊本地震から1年が経った。
住宅被害が約20万棟(大分県含む)、
亡くなった方は直接死で50人、
避難所で亡くなるなどの災害関連死は170名を超えた。
そして今も4千世帯以上が応急仮設住宅に暮らしている。

一年前、熊本の生産者の安否を確認したり、
「伊豆の天然水」のミロクさんと協力して
水や野菜ジュースを送ったりしたのが、
遠い昔のことのように思える。
「風化」は他人ごとではないと改めて戒めたい。
(昨年4/18、20、25日の日記もご参照いただければ-)

熊本地震の特徴に、避難所に入らず
車の中で過ごした人たちの多さが挙げられる。
建物の中にいるのが怖いという心境もあってのことだが、
それ以上に、
迷惑をかけたくない、自分はまだいいほうだから、
といった遠慮と配慮をはたらかせた人が多かった。
不知火の澤村輝彦さんもそうだった。
そしてその車中暮らしでエコノミークラス症候群に陥り、
亡くなった方が少なくない。

東京の直下だって、
駿河湾から日向灘まで伸びる南海トラフだって、
いつ揺れてもおかしくないと言われる昨今。
なんせ2千本の断層が走っている列島に暮らしているのだ。
“関係なかった人たち” にとっても、
現地に思いを馳せ、教訓と備えを更新させる意味でも、
記念日はそれなりの役割があるように思う。

家が壊れ、家族がバラバラになって、
一年経っても仮設で暮らしている自分は、
はたして周りのためにはたらけているだろうか。
あるいは早々にどっかに移り住んで、
過去の記憶に埋めさせているか・・・

 

ここ函南町・丹那盆地にも活断層が走っている。

1930(昭和5)年11月26日午前4時02分に
発生した北伊豆地震。
地震の大きさはマグニチュード7.3、
震源地は丹那盆地付近の地下、何と0~5㎞。
震央付近の震度は6。直下型地震であった。

その断層のズレ跡が良く示されている場所として、
5年後の昭和10年、国の天然記念物に指定された。

といっても、訪れる人はまばらである。
歩きながら写真を撮ったりしていると、
通りがかった近所の人の視線を感じてしまうほどだ。

丹那断層は、箱根・芦ノ湖から伊豆・修善寺まで続く、
約30㎞の丹那断層帯の一つ。
周辺には他に7つの断層がある。

1980年代に行われた東京大学地震研究所の調査によって、
丹那断層は過去6~7千年の間に
9回の断層活動があったことが判明した。
約700~1000年の周期で大地震が繰り返され、
1000年に2mの割合で左横ズレを続けてきた。
この50万年で左横ズレ1㎞、西側の地塊が100m以上
隆起したと推定される。
(「丹那断層」パンフレットから)

 

この写真。
手前から真ん中にかけて石が並べられているが、
本来は丸く囲われた「ちり捨て場」(ゴミ置き場?)だった。
右(東)が向こう(北)側に、左(西)が手前(南)に
約2.6メートルずれて、かつ西側が少し隆起している。

こんなふうにはっきりと、
大地がズレた跡が残っている。

地震直後の写真も展示されている。

当時の函南村1738世帯のうち、
5分の1にあたる394戸が全壊。
地震による死者37人、負傷者195人(人口9,714名)。

ちなみに、この北伊豆地震が起きた時、
丹那盆地の下では、
東海道線のトンネル工事が行われていた。
世紀の大工事と言われ、水が抜けては陥没して
多数の殉職者が出るなど難航していたが、
地震ではトンネルが遮断されるほどの
横ズレが起きてしまったのだ。
行けば、掘ったはずの穴が壁で塞がれている!
工事の人たちは目を疑ったことだろうね。。。
そのあたりの様子は、前にも紹介したけど、
吉村昭の力作『闇を裂く道』(文春文庫)で
生々しく再現されているので、ぜひ読んでほしい。

地震、津波、台風・・・
日本はずっと天災に振り回されながら、
しかししたたかに、粘り強く生きてきた。
後世に教訓を残しながら。

その教訓と真逆にあるのがゲンパツだろうか。
それは一見「科学」の衣をまといつつ、
トイレも浄化槽も作れないマンションに
託すべき未来の暮らしがあるかのように、
人々を誑(たぶら)かし続けている。
この揺れる地盤の上で。

熊本地震から1年。
やっぱり、何度でも宣言しておきたい。
すべての原発再稼働に反対します。

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