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無農薬茶の先駆者、「大地」を愛し続けてくれた樽井ち江子さん

2016/01/28
  • 生産者・産地情報
無農薬茶の先駆者、「大地」を愛し続けてくれた樽井ち江子さん

前回に続いて先週の報告。

1月22日(金)。
朝イチで「大地ヒストリー」の原稿を編集部に送って、
あとは逃げを打って外出する。
熱海から新幹線に乗り、東京から東北新幹線に乗り継ぐ。
新白河から東北本線に乗り換えて鏡石駅(福島県須賀川市)着。
函南から約3時間半の行程。
これくらいで静岡県から福島県に来れちゃうんだから、
忙しくもなるはずだ。

須賀川は当たり前の冬景色、かと思ったら、
迎えに来てくれた常松義彰さんの説明では、
これは数日前の寒波で降った雪で、
それまでまったく雪がなかったんだとか。
「ヘンな冬ですねえ。夏が心配」と、この冬定番の会話となる。

雪化粧の田園風景を眺めながら、
久しぶりに「大地を守る会の備蓄米」の生産団体、
ジェイラップを訪ねた。
昨年秋の収穫祭も来れなかったのに、
今回季節外れの訪問となったのは、
「大地」の新しい米の担当を紹介して、
昨年予約注文が落ちてしまった「備蓄米」の
販売計画の立て直しを協議するためだ。
今さら僕の出る幕でもないのだろうけど、
他でもないジェイラップへの同行を求められたら、
行かないワケにはいかない、いや喜んで、てなもんで。

作戦会議の内容は伏せさせていただくとして、
夜は代表の伊藤俊彦さんと遅くまで飲んだ。
伊藤さんとの付き合いも、もう28年になる。

90年だったか、合鴨農法を導入して無農薬栽培に挑戦した時は
「合鴨オーナー制度」で応えた。
平成の米パニック(93年)をきっかけに備蓄米システムをつくった時は、
一緒に農協の圧力とたたかった。
オリジナル純米酒(種蒔人)の開発、ジェイラップの設立、
そして3.11後の語り切れない苦難・・・それは今も続いている。

ずっと一緒に歩んできたが、連帯感が揺らぐことはなかった。
ここまできたら “ 同志 ” と言わせてもらってもいいだろう。
彼との “ 飲み ” は、僕にとって至福の時間である。

 

24日(日)。函南に戻り、喪服に着替えて浜松まで走った。
大地を守る会設立時から応援してくれたお茶の生産者、
樽井ち江子さんが亡くなったとの知らせ。
享年92歳。
お通夜に駆けつける。

今でこそお茶の有機栽培は珍しいものではなくなったが、
それは今世紀に入ってからのことである。
長く「お茶は無農薬では無理」と言われ続けた中で、
樽井孝蔵・ち江子夫妻は1970年代から
お茶の無農薬栽培を実践されてきた。
間違いなく先駆者である。

ち江子さんは毎年欠かさず「大地を守る東京集会」に顔を出して、
参加者に美味しい緑茶をふるまってくれた。
ここ10年くらいは車いすで、辛そうな時もあったが、
それでも「大地(を守る会)は私の生き甲斐」と、
必ずやってきてくれた。

お通夜・葬儀はご自宅て執り行われた。
到着して、ご長男の隆之さんに挨拶した途端、
隆之さんはとても喜んでくれて、そして
「おふくろはもう、いっつも大地・大地言うて・・・」
と絶句して、泣き出したのだった。
僕ももらい泣きして、
ベレー帽をかぶったち江子さんに手を合わせた。

聞けば去年の夏に、酪農王国オラッチェに
家族で遊びに来られたんだとか。
「フルーツバスケットに寄っていこう」と誘ったところ、
「仕事の邪魔になる」と固辞して、
ソフトクリームを食べて帰られたとの事であった。

ち江子さん。
本当にありがとうございました。
ご恩は忘れません。
そして、ずっとかけていただいた期待も忘れずに背負って
頑張ろうと思います。

写真は2013年9月、川崎市にて、
だいちサークル主催で行われた「煎茶の飲み比べ会」に、
サプライズで参加された樽井さん一家。

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椅子に座っているのがち江子さん。
右端が隆之さん。

西日本は大雪というニュースを聞きながら帰る。
空気はとても冷たかったが、空は晴れていて、
十五夜の満月がずっと正面の眼上にあった。
まるで誘われているかのような帰り道だった。

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