有機稲作技術の求道者-稲葉光圀さん

公開日: : 最終更新日:2020/12/23 あんしんはしんどい日記, 生産者・産地情報

悔し涙をこらえて、続けます。
拙くても書き残すことが、僕なりの故人への弔いであり、
その生をつなぐことだと思って-。

小原文夫さんの訃報を受け取った翌12月11日、
今度は「NPO法人 民間稲作研究所」代表の
稲葉光圀(みつくに)さんが亡くなったとの知らせが届く。

長年にわたる現場での試行錯誤と研究の積み重ねによって、
米-麦-大豆の2年3作という輪作体系を確立させ、
米の有機栽培で最大の課題であった雑草対策を
大きく進化させた先駆者である。

稲葉さんもまたガンで、1年近く闘病中だった。


(2009年1月に、麦畑の前で撮った一枚)

 

僕と稲葉さんとの出会いは、90年代中頃に遡る。
彼は当時、栃木・真岡農業高校の教師で、
「成苗二本植研究会」という研究組織の代表も務められていた。
稲作の機械化とともに小さな稚苗で植えるのが主流となった時代に、
大きな成苗を疎植で植える方法を提唱していた。
しっかり育てた苗を、間隔をあけて植えることで、
一本一本が逞しく育つ。
それによって農薬や化学肥料への依存を減らし、
収穫量も安定する。
ただ、その頃はまだ有機・無農薬栽培へと進む前だった。

当時、千葉・市川塩浜にあった大地を守る会の物流センターに、
稲葉さんが訪ねて来られたのは93年か94年だったか・・・
目的は、研究会のコメの販路開拓(売り込み)だったが、
いつの間にか稲作技術について語り合う場になってしまった。
いや、「語り合う」とはおこがましい。
もっぱら先生の理論を拝聴させていただくという感じだったが、
逆に稲葉さんは「大地」に出荷する有機栽培農家の
除草対策を、知りたがった。
しかし、ひたすら手で草を取るような「苦労」を伴っての
「無農薬の実現」には、拒否感を示した。
哲学は尊敬するとしても、
誰でもが普通に取り組める「技術」でなければならない、
という強い信念を持っていた。

結局コメの取引には進まず(営業はお得意ではなかった)、
しばらく疎遠な関係となったが、
その後も稲葉さんは研究を進め、
とうとう高校を退職して民間の研究所を設立した。
この頃から「稲葉光圀」の名は、稲作技術研究の枠を超え、
有機農業界にも広く知られていくようになる。

成苗二本植えは一本植えに進化し、
それに対応した田植え機の改良までやってのけた。
そして、米・麦・大豆の輪作による抑草技術の確立である。

「大地」も、コメ生産者の会議に講師として招いたりして、
関係を深めた。
いや、それだけでなく、米・麦・大豆の輪作である以上、
すべてが売り切れないとうまくは回らないわけで、
販売に苦慮していた麦を引き受けたりした。
それが僕にできた、側面からの支援だった。

3.11大震災と原発事故のあとは、
輪作体系に油糧作物としてのナタネも加わって、
稲葉さんの実践は「総合的な循環体系」へと進化していった。

ただ麦に関しては、悔しい結末が待っていた。

2012年になって、契約してくれていた醤油メーカーから、
「取引先から、栃木産の原料では売れないと拒否され、
 麦を引き取れなくなった」とキャンセルされたのだ。
醤油屋さんに、罪はない。
かといって「大地」にも、その醤油の製造量を
引き取れる力はない。
謝りに行った僕は、奥様から
「大地はそんな団体だったのか!」と罵倒された。

光圀さんは辛そうに黙っていた。
「敵は原発であって、我々が喧嘩してはいけない。
 とはいえ、しかし・・」
そんな思いが全身を巡っていたのではないかと、
今も思い出しては苦しくなる。

ネオニコチノイド系農薬が問題になってからは、
好きだったタバコをキッパリとやめた。
「ニコチン系だから」と、そんな人だった。

稲作における稲葉理論はアジアにも広がり、
あの幸福の国・ブータンにも指導で通うようになった。
千葉県いすみ市では、稲葉さんの指導によって
有機米が広がり、市内の全学校での給食に地元有機米が
使われるまでになった。
これは紛れもない「偉業」である。

「有期稲作の技術は完成した。
 誰でも当たり前に有機でのコメ作りができる世界を、
 残りの人生を賭けて、広げていきたい」

100歳まで現役で生きる、を目標にして、
最後の四半世紀を、地球環境と調和した農業を
世界に広げるために捧げようとした、
そんな矢先での逝去となった。
享年76歳。

12月15日(火)、告別式に参列。

僕には稲葉さんが積み上げた技術体系を継げる
能力はなく、ポジションも違う者だけれど、
あなたが残した財産は増やしてみせますと、
そんなことを約束して、手を合わせた。

 

訃報は、二人で終わらなかった。

相前後して12月14日、
ATJ(オルター・トレード・ジャパン)の元代表、
堀田正彦さんが13日に亡くなったとの知らせ。
こんなことがあるものか・・・
どういうつもりか! と天を仰いだ始末だ。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

「人新世」という時代に

新型コロナウィルスcovid-19 の出現に始まり、 その第3派の猛

その先の “ コモンズ ” を信じて

今年の3月に生まれて初めて大きな病気をしました。 完治はしていま

「フェアトレード」の前に “ 民衆交易 ” があった

12月19日(土)は、二ヵ所の斎場を回ることとなった。 こんな経験、

有機稲作技術の求道者-稲葉光圀さん

悔し涙をこらえて、続けます。 拙くても書き残すことが、僕なりの故人へ

相次ぐ開拓者の訃報に-

「勝負の3週間」どころではなく、 コロナ第3派の勢いが止まらない。

→もっと見る

  • 2021年1月
    « 12月    
     123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728293031
桃ジャム 丹那牛乳 畠山重篤さん 自然エネルギー 久津間紀道さん カフェ麦わらぼうし ご当地エネルギー協会 箱根峠 フルーツバスケット COBOウエダ家 種蒔人 ジェイラップ 震災復興 畑が見える野菜ジュース 藻谷浩介さん ムーラン・ナ・ヴァン あかね 森は海の恋人 酪農王国オラッチェ 無添加ジャム 丹那トンネル 羽山園芸組合 備蓄米 稲田稲作研究会 大地を守る会 福島屋さん 丹那盆地 函南町 川里賢太郎さん 谷川俊太郎
PAGE TOP ↑