さんぶ野菜ネットワーク30周年

公開日: : 最終更新日:2018/11/17 大地を守る会, 生産者・産地情報

11月に入ってから
「伊豆半島・シカ肉だより」のほうに精力を注いでいました。
といっても、シカ肉の仕事だけやっていたわけではありません
(そうだと幸せなんですが・・・)。

 

暦の上では冬に入った11月7日(水)。
酪農王国オラッチェでは、3日後に迫った秋のイベント
「丹那盆地まつり」の準備が進み、ステージも設えられました。

地元の小学校や幼稚園の
遠足や野外学習にもよく利用されるこの施設。
仕事の合間にもこんな光景がちょくちょく見られ、
癒されます。

 

と言いながら、
今年の「丹那盆地まつり」での出店は職員たちに託して、
9日(金)から千葉そして福島と出歩いたので、その報告をします。

この千葉&福島レポートでは、
原発の再稼働という問題にも触れたく思います。
この間わだかまっていた思いに
ちょっと火がついた2日間にもなったので。

 

まず11月9日(金)。
千葉県山武市の有機農業団体「さんぶ野菜ネットワーク」の
設立30周年記念大会が開かれた。
場所は「さんぶの森文化ホール」。
今回はビッグネームの記念講演も用意されたとあって、
生産者や関係団体のみならず、地元の人たちも大勢集まってきた。
300人以上は集まっただろうか。

まずは富谷亜喜博代表理事の挨拶から始まる。
30年を振り返る富谷さん。

当時の山武農協の1支所であった睦岡支所園芸部内に、
「無農薬有機部会」が発足したのが1988年12月。
28名のメンバーでのスタートだった。

配られたパンフレットの「30年の歩み」によれば、
その年の11月に、農協が初めて有機農業をテーマにした大会
「第1回有機農業全国交流集会」を伊豆長岡で開催し、
下山久信支所長ら3名が参加したのがきっかけ、となっている。
その集会では、フルーツバスケットの前社長・加藤保明さんも
丹那での取り組みなど発表して後押しした、と
たしか記憶している。

気運を逃さず、1ヶ月もたたないうちに部会の発足。
下山さんの手腕は、すでにこの頃から発揮されていたワケだ。
それ以前から生産者を説得して回っていたとはいえ。

しかし発足当初は、「これは実験なんだ」程度に
富谷さんは考えていたと言う。
2~3年で解散だろうと。
販売先のアテもないまま野菜を作付したというから、
周囲からはさぞ無謀な行動に見えたことだろう。
それでも彼らは、漠としたものであったかもしれないけれど、
何かを信じたんじゃないかと、今は思うのである。

下山さんと園芸部の役員だった故・今井征夫さんが、
販路をたよって大地を守る会を訪ねて来られたのは、
その年末だったか年を越した1月だったか。
当時、中央線の武蔵境にあった分室で出迎えたのを、
今でも覚えている。
そして2月には仕入の責任者であった長谷川満さんが山武を訪ね、
あっという間に契約が成立した。

背景には「らでぃっしゅぼーや」の設立があった。
「らでぃっしゅ」向けの野菜を増やす必要に迫られていたのだ。
タイミングが合った? 運があった?
いや、そういう時代に入っていたということだろう。
人参の連作障害に悩まされる中で、有機に挑戦してみようという
生産者が集まり出した頃、都会では
安全な野菜を求める人たちが、目に見えて増えてきていた。

初出荷はその年(1989年)の5月、チンゲン菜からだった。
当時広報をやっていた僕は、『クロワッサン』という
雑誌にネタを提供し、記者を連れて取材に入った。
著名な女性誌に生産者や畑の写真が掲載されたことは、
仲間への励みだけでなく周りへの刺激にもなったと、
予想以上に喜ばれたものだった。

それからは、怒涛のように交流企画を展開した。
今でも残るのが、90年から始めた
「大地を守る会の稲作体験」だ。
最初に田んぼを提供してくれたのが今井征夫さんだった。
4アールの田んぼに40人ほどの消費者を連れて、
田植えから草取り、そして収穫まで体験するという企画。
無農薬でやることも許してもらった。

部会がスタートしてまだ2年。
この企画を失敗させて笑いものになってはいけないと、
今井さんは毎日、朝夕欠かさず体験田の見回りをやってくれた。
そして体験企画が成功裏に終了した11月のこと。
大地を守る会の実験農場の開所式を行なった日の翌日、
今井さんは突然、逝去された。

亜喜博さんの挨拶を聞きながら、今井さんと、
初代の有機部会長であった故・槍木(うつぎ)行雄さん
思い浮かべたりした。
お二人がここにいたら、どんなに喜んでくれるだろうか。。。
亜喜博さんはじめ次世代がしっかり受け継いできたことを、
天から見てくれているだろうか・・・泣きそうになる。

消費者との交流だけでなく、
いろんな運動も一緒にやってきた。
DEVANDA(農業の出番だ!)運動で
韓国に行ったりしたのも、懐かしく思い出される。

その間、環境保全型農業コンクール他、
数々の受賞を重ねてきた。
今年はなんと、「未来につながる持続可能な農業推進コンクール」
農林水産大臣賞に加えて「日本農業賞・食の架け橋の部」優秀賞
というダブル受賞である。
独立まで育て上げた新規就農者は33名を数える。
よくぞ走り続けた30年である。

最大の功労者はやっぱこの人、
下山久信さんだろう。

2005年に農協から独立して、
農事組合法人「さんぶ野菜ネットワーク」となってからは、
常勤理事として組織運営に腕を振るうだけでなく、
日本の有機農業運動の先頭に立って走り、
また霞ヶ関へのロビー活動も寸暇を惜しまず出かける。
彼のアポなしでの農水立ち回りは業界内の常識となっている。
「畑だってやってんだよぉ、俺は」と言いながら。

パンフレットの裏表紙には、
下山さん直筆(この方は今も手書き)の檄文が載っている。

農業とは、
「今降り注いでいる太陽エネルギーを最大限に活用して、
健康な食べものを育てる生業」である。
「食べもの」は天と地・自然のめぐみである。
これからの農のあり方
-「農の志、大義、誇り、そして百姓にとって譲れないもの」
国民のための食べもの=命の源を生産しているんだという
「思いの強さ」が、大事なのです。
このままで推移すれば、農が無くなり、
食料危機がやってくるであろう。
私たちの身の回りの食と農を見る目が、
がたがたになっているという現実。
日本の食と農を守るのは、国民一人一人の心の中にある。

既成の文法をぶち破る下山久信・魂の叫び、
として紹介しておきます。

30年の発展を支えた功労者13名への表彰式。

そして来賓挨拶では、
農水省の生産局長や山武市長らに続いて、
オイシックス・ラ・大地(株)顧問となった長谷川満さんが、
祝辞を述べた。

本来は藤田会長が立つ予定だったのだが、
なんと藤田さんがドタキャンとなって、
急きょ代理での登壇となった。
舞台裏では、突然依頼された戎谷がうろたえる
という一幕もあったけど(それも開会15分前くらい)、
やっぱここは「さんぶの野菜を最初に仕入れた男」でしょう
ということで、何とか格好をつけて収めることができた。

埼玉県小川町を「有機の里」に育て上げた先達、
金子美登さんもお祝いに駆けつけた。

全国有機農業推進協議会理事として、また小川町町議として、
エールを送る金子さん。
小川町のように有機農業を地域の土台に育て上げるには、
あと何年の時間と何人の人が必要だろうか。
その日が来るまで応援し続けたいと思う。

 

そして、記念講演。
下山さんが直接交渉して引っ張って来たのはこの人、
元内閣総理大臣・小泉純一郎さんである。

そうして、ここから脱原発の話になっていくワケだけど、
だいぶ長くなってしまったので、
「続く」ということで、お許しを。

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ジャムのフタが開かな~い!

・・・という苦情というか質問というか、 購入した方からの問い合わせが

“おだやかな革命” は進むのである。

11月10日(土)、 二本松でのソーラーシェアリング完成式の続き。

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