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藤本敏夫さんの17回忌

2018/08/02
  • 大地を守る会
  • 日々日々フルーツバスケット
藤本敏夫さんの17回忌

7月26日(木)、中国から視察団が訪れた。

中国・遼寧省で高級ワインを製造する「太陽谷庄園」
というメーカーが中心になって設立された
有機食品のネット販売団体「源食倶楽部」の生産者たち15名。
日本の有機食品市場の視察目的で来日し、
親会社「オイシックス・ラ・大地」を訪ね、
関連の加工会社も見たいということで依頼があり、
ならば丹那牛乳や酪農王国オラッチェも合わせて
ご案内しようと受け入れた。

午前10時半、予定より早く到着。
前日にはワイン工場を視察して、山梨から回って来られた。
そして午後は三重県まで走るという。
はいはい、伊賀の里モクモクファームでしょう。
なかなか貪欲な人たち。

まずは入口看板の前で伊豆半島の地形的特徴を説明し、
続いて大地を守る会が丹那牛乳(函南東部農協)と提携して
低温殺菌牛乳を開発(1982年)した話、
そして87年のフルーツバスケット設立から
97年の酪農王国建設と、流れを解説しながら案内する。

繰り出される質問は背景などおかまいなく、
実に具体的である。
このジュースはなぜ賞味期限を1年持たせられるのか。
殺菌工程はどうなっているか。
その機械はいくらするか。
施設の排水処理はどういうシステムか・・・等々。
山に連立する別荘を眺めれば、
「あれはいくらで買えるか」ときた。
まあ、あなた方なら買えるだろうが、大事なのは
そこにある地域のルールや文化と共存できるかだ、と
ちょっと警戒して真面目に答える自分に驚いたりして。

レストランに入り、昼食の前に
酪農王国の西村悟営業部長にも合流していただき、
王国のコンセプトから施設概要、酪農と連携しての
商品開発や地域貢献策など語ってもらう。

日本初の有機地ビールを楽しんでいただきながら懇談。
彼らの要望は、牛糞のたい肥化施設や排水処理など、
技術支援へと及んでくる。
環境汚染に対して厳しい政策を打ち出してきている
中国の現状が垣間見えるようだ。
しかしただマニュアルや設備を導入すれば
上手くいくというものでもない。
人への教育が大事だと思うのである。
その点、源食倶楽部(太陽谷庄園)会長の呉さん
という方は、真摯な姿勢で耳を傾けてくれた。

大陸の環境汚染は、東の島々にも影響を与えてくる。
モラルをもった有機食品産業の発展を切実に願う。
だからこうして受け入れ、話もしているのであって・・・

 

次は7月31日(火)。
久しぶりに新宿まで出かける。
場所は西武新宿駅の前、
ロシアレストラン「スンガリー」歌舞伎町東口店。
ここで大地を守る会初代会長・藤本敏夫さんの
「17回忌に集う会」という集まりがあった。

藤本さんが亡くなったのが、2002年7月31日。
没後10年の年は、日比谷・松本楼を借りて
藤本敏夫没後10年を語る」と題した集まりを開き、
僕は実行委員として働かせていただいた。
あれから6年、早いもので17回忌である。

今回は藤本さんの妻、歌手の加藤登紀子さんのご両親が始めた
ロシア料理店(現在の経営の代表は登紀子さん)が会場とあって、
6年前より小ぢんまりとした集まりとなった。

挨拶するお登紀さん。

実行委員を代表して藤田さんの挨拶と献杯。

その奥のテーブルから順次マイクが渡され、
挨拶が続く。

僕にはすべて大先輩の人たちだ。

登紀子さんからマイクが振られて、
大地を守る会で藤本さんと仕事をした最後の世代として、
こんな話しかできなかった。

僕が大地を守る会に入社したのは1982年の秋。
藤本さんはすでに鴨川自然王国の準備に入っていて、
会社で会うのは会議の時だけだった。
会長退任の挨拶をしたのが翌83年の大地を守る東京集会。
次の夢に向かって旅立ちを宣言する藤本さんはとてもカッコよかった。
その時、同僚の中に
「藤本さんについていきたい」というヤツがいた。
僕は「残って『大地』を育てるのが俺らの仕事だろう」と
偉そうに諫めた、そんな話。
そして、ただただ無念だったことは、
遺作となった『農的幸福論』を完成して欲しかった、ということ。

先輩たちは皆、藤本さんの功績を称え、
藤本さんと関わった想い出を嬉しそうに、あるいは自慢げに語る。
語られなかった言葉を探してきた僕には、
「それでいいのか」という思いも募ったりするのだった。
「農的」革命は果たせてないだろう・・・

藤本さんの映像が流れる。
彗星のごとく全学連委員長に昇り詰めた時代から、
登紀子さんとの “ 獄中結婚 ” を経て、
大地を守る会そして鴨川自然王国へと至る、
藤本敏夫の軌跡。

最後に次女、歌手となった Yae ちゃんが挨拶する。

Yae ちゃんを初めて大地の生産者会議に呼んで
歌ってもらった感激を思い出す。
あれはもう10年以上前のことになった。

藤本さんの遺志を継いで、いや自らの意志で
「農的暮らし」に入った娘たち。
藤本さんの託した思いが、
彼女たちが語り歌う言葉に乗り移っていくことを信じたい。
僕は僕なりに、のんびりした頭で探し続けるとして。

加藤登紀子という人物は誰も否定しない猛女(もさ)だけど、
こうやって自ら盛り上げるのを見ていると、
やっぱり一人の母でもあった。
いや、もしかして、、、
本当に探し続けているのは登紀子さんなのかもしれない。
そう思えば、何となくすべてが腑に落ちてくるのだった。

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