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被災農家と歩み続けた「普及指導員」

2017/08/04
  • 震災復興
  • 食・農業・環境
被災農家と歩み続けた「普及指導員」

なかなか落ち着いて書ける時間がなく、
間が空いてしまったけど、2点目の紹介です。

聞く力、つなぐ力
  -3.11東日本大震災 被災農家に寄り添いつづける普及指導員たち 』
(日本農業普及学会編著、農文協刊)

埼玉の自宅に帰って読んでいたら、背表紙を覗き見た妻から
「あ~、今さら自己啓発の本読んでもねぇ・・」
と冷笑されてしまった。
たしかにそんなタイトルではある。

しかし、そうではない。
副題にある通り、大震災のあと、被災農家に寄り添い、
伴走し続けた普及指導員たちの苦闘の記録である。

送られてきたのは、本書を編集した田口均さんから。
田口さんは編集プロダクションに勤める傍ら、
山崎農業研究所」という民間の農業シンクタンクの
事務局も務められていて、その所報『耕』への寄稿(しかも何と「巻頭言」)
を依頼され、一度は辞退したものの、
そのしつこさに負けてお引き受けしたところ、
「お礼に」と田口さんが手がけた本が2冊送られてきた。
そのうちの一冊である。

ちなみに、僕と「山崎農業研究所」の関係は、
2010年の夏に、福島県喜多方市山都町の有機農業者・小川光さんが、
当研究所が設けている「山崎記念農業賞」を授賞され、
その 授賞式 に出席してお祝いのスピーチをさせていただいてから。
思い返せば、スピーチの依頼も田口さんからだった。

 

さて、日本の農業現場には
「普及指導員」という肩書を持った人たちがいるのだが、
あまり知られてないように思う。
以前は「農業改良普及員」と言った。
それが2004年の農業改良助長法の改正によって、
農業技術を教える「専門技術員」と一本化されて
「普及指導員」となった。
普及指導員は国家資格であり、彼らは
各地に設けられた農業普及指導センターに勤める公務員である。
その役割については、「全国農業改良普及支援協会」の
ホームページの解説が分かりやすい。
「農業者に直接接して、農業技術の指導を行なったり、
 経営相談に応じたり、農業に関する情報を提供し
 農業者の皆さんの農業技術や経営を向上するための支援を専門とする、
 国家資格を持った都道府県の職員」

つまり、個々の農家を巡回し、講習会を開催したりしながら、
栽培技術から経営、暮らしの改善まで、
農家の課題解決に取り組むプロ集団である。
自治体の農政課職員やJA(農協)の営農指導員と違って、
行政とのしがらみや利害関係が発生しないぶん、
農家からの信頼を得ているとも言える。

加えて、本書の「はじめに」によれば、
「普及指導員は、担当する農業・農村現場で発生する
 災害や異変の実態を把握し、
 それを都道府県ひいては国の施策や対策に反映させていく
 役割も担います。
 このため、赴任地で災害や異変が発生しても、
 容易にその場を立ち去るわけにはいかないという
 職務上の性格も帯びることになります。」
とあって、
改めて「ああ、そういうことだったのか」と、
彼らの粘り強い活動の意味を理解した次第である。

最初にこの本を手に取った時は、
「田口さん、地味な本を出したね」
というのが偽らざる感想だった。
しかし、違った。
地味に見える作業のなかから真実はあぶり出される、
そんな迫力ある記録に仕上がっている。

 

本書は、岩手県大船渡、宮城県石巻および仙台・亘理地区、
福島県北および相双地区(相馬~双葉郡)で、
震災による甚大被害や原発事故に直面しながらも、
現場から離れず、被災農家と並走し続けた
普及指導員からの聞き取りをまとめた記録に、
4氏(古川勉・行友弥・山下祐介・宇根豊)が
その意味を解く論考を寄せたものである。

訥々(とつとつ)と語られた、飾りのない言葉から、
壮絶な現場を想像してみてほしい。

・・「普及」としての仕事が少しずつできるようになり始めたのは
  5月が終わるころです。それまでは生活を含めた災害復旧の
  支援活動を手伝っている感じでした。
・・営農再開できるような状況でない人が多く、
  農業の相談というより人生相談になることも多かったです。
・・青空相談会を実施した時にも、精神的に不安定で
  激昂する農業者もいたことを覚えています。
・・拠点を構えたといっても、食事がままならないわけです。
  実家の農家から米を買ったりして朝晩、炊き出しをしていました。
  限られた車で調査へ行き、残った職員は食事の準備、
  といった状況です。
・・普及指導員は、どちらかというとブルーカラーに近いと思います。
  現場でなんでもこなすバッファーとしての役割を果たしていた
  のではないでしょうか。
・・最初は原発の状況については、なにもわかりませんでした。
  テレビもない、新聞もない、ネットもつながらないわけですから、
  全くわからない。放射性物質を含む雨が降ったといわれる
  3月16日、17日も普通に外を歩いていましたし、
  野菜も喜んで食べていました。
・・沿岸部で塩害対応しないといけない地域と、
  放射能被害対応をしたところは世界が違っていました。
・・農家の受けた心理的なダメージは被災状況によって違います。
  人生が終わったと思う人から、明日頑張ろうという人まで… 。
・・やっぱり農家は話したいと思う。行って話を聞くことが重要。
  聞くほうもつらいが、今でも聞いてよかったと思います。
・・聞くことで農業者も前向きになれるのです。
・・通勤時に、被災地をずっと通ってくると、なにか埋まっている
  ようなところもあり、そこになにがあるかを想像してしまう
  ことがそうとうなストレスになりました。
  あのときほど仕事を辞めたいと思ったことはありません。
  (中略)自分がなにもできないことも苦しかった。
・・その人の詳しい状況がわからないので、言葉を選んで
  会話するのですが、聞くことしかできないわけです。
  普及指導員とは人的つながりが深いから、
  そういう状況でも話をしてくれたと思うのです。
・・震災当初は、農家に安否確認で電話をかけるのが怖かった。
・・役場や農協には強い口調で支援しろとかいう人も、
  普及センターは技術支援をする組織だと理解しており、
  苦情を言うよりは相談先と思っている。
・・サンプリングに行く時、防護服を渡されたのですが
  着なかったですね。まだ村民がいるのに、
  我々県側の人間だけがマスクや防護服を着用していたら
  不安をあおることになりますから。
・・米の栽培方法などを聴き取りに行ったのに
  「お前ら、どうしてくれるんだ」といった話を延々と
  聞かされました。黙って聞くしかなかったです… 。
・・最初は東電に対する怨嗟の声をよく聞かされました。
  農家の怒りのやり場がなく、普及指導員がその受け皿になった
  のです。農家の怒りを受け止めるのはつらかったです。
・・原発から20㎞圏内に牛を置いてきた農家に
  「あの牛を見捨てろというのか」と聞かれ、「そうです」
  としか言えないのがつらかった。
  自分がうらまれて農家の気持ちが晴れるのなら
  それでいいと思いました。
・・一番大きなストレスを感じているのは農家です。
  だから、自分も耐えるしかなかった。

読み進めながら、改めて当時の怒りが蘇ってくるが、
それ以上に、普及員の人たちが、逃げることなく、
農家をめぐっては不安や怒りを受け止め、
ともに歩み、また背中を押し続けた姿が、
とても貴重な、この国の宝のようにも見えて、
感謝の念すら湧いてくるのだった。

彼らの言葉の中には、
農家にただ “寄り添う” のではなく、
ともに課題解決に向かう『協働』の姿勢でやってきた、
という自負を滲ませた発言も垣間見える。

「風評被害」に対する考察も見逃せない。
これは紛れもない「実害」であったはずなのだが、
「風評被害」と語る彼らの心理を紐解いた
山下祐介氏の論考は深く考えさせられる。
この点については、
下記の一冊とも合わせて読むと、
いま進んでいる「復興」に潜む問題点の諸相が、
見えてくるように思う。

『人間なき復興』
(山下祐介・市村高志・佐藤彰彦著、ちくま文庫)

 

未曽有の大震災に原発事故という大混乱の中で、
現場に残り、農業者とともに
復興を目指したプロ集団の存在があった。
歴史に残すべき証言録が埋もれることなく、
世に出されたことに感謝したい。

しかも彼ら普及指導員の仕事は、
個々の農家のためだけでなく、
都市の人々の暮らしを守るためにもあって、
その意味でも本書は、
「ありふれたものが、そこにいつもあたりまえにある
ことの大切さ」(宇根豊さんの論考)
を伝える記録にもなっている。

田口さんに、失礼ながら上から目線のコメントを。
「いい仕事してますねぇ」

皆さま、ぜひ図書館に購入希望を。
そんな本です。

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