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島岡幹夫、「生きる」

2015/06/01
  • 生産者・産地情報
  • 脱原発・自然エネルギー
島岡幹夫、「生きる」

「鬼の松藤」の『天の風~』に続いて、
もう一冊紹介させてほしい。

こちらは「不屈の人」。
窪川原発(建設計画)を止めた男、島岡幹夫。
本の題名は『生きる』。
高知らしい直球勝負だ。
副題は「窪川原発阻止闘争と農の未来」
(高知新聞総合印刷刊、協力:「生きる」編集委員会)。

島岡幹夫『生きる』

島岡幹夫さん、76歳。
高知県窪川町(現:四万十町)で有機農業と酪農を営む。
この町に原発誘致の話が持ち上がったのは1980年のこと。
以後、町を二分しての争いが8年にわたって繰り広げられた。
当時自民党の地区支部で広報委員を務めていた島岡さんは、
敢然と反対運動の先頭に立ち、自民党と袂を分かつ。
町長リコール、その町長の再選、原発住民投票条例の制定、
そして最後は町長の「原発誘致断念」宣言と辞職。
血みどろのたたかいだった、と島岡さんは振り返る。

そのたたかいのなかで町議となり、
議員生活は27年間に及んだ。最後は議長まで務めた。

しかし僕とこの方とのお付き合いの出発点は、
原発ではなくコメである。
そのへんの話を始めると長くなるし、
過去のブログ にも書いたので割愛したい。
ひと言でいえば、10年にわたる地域のいがみ合いを
乗り越え、農業で地域を豊かにするための、
コメの産直活動の開始。
僕らはこれを、窪川原発闘争の「完結編」と呼んだ。

有機農業による安全なコメ作りを地域に広げ、
消費者とつながり、農業による地域振興にドライブをかける。
「提携米アクションネットワーク」と名づけた
この運動の四国の旗手として、
島岡さんは立ち上がってくれたのだ。

こんなこともあった。
集まった米がまだお金に替えられてない12月。
年末ギリギリになって島岡さんから電話があり、
仲間の年越しのために「頼む!」と頭を下げられ、
クビを覚悟で提携米の資金から一時金を用立てた。
会社の業務も閉店した12月30日のことだ。
あの時の正月は生きた心地がしなかった。
いま思い返してもドキドキしてくる。

93年の大冷害と米パニックのあと取り組んだ
「減反政策差し止め訴訟」では、
原告団の呼びかけ人に名を連ねてくれた。
本書にはその裁判での意見陳述が採録されているが、
自らを「愛国共産党」と標榜した島岡さんの
生き方を示した歴史的証言だったと、改めて思う。

地元の原発を止めても、議員を辞めても、
島岡さんの活動は終わらない。
全国を飛び回り、あるいは韓国まで出かけ、
原発がいかに危険で地域住民のためにならないかを
説き続けている。
福島原発の事故に対しては、
止めておいてよかったという思いと、
「間に合わんかった。なんでもっと頑張らんかったのか」
の自責の念が交差している。
本書の冒頭から、そんな無念さが伝わってくる。

島岡さんの活動領域は、
地域から世界へとつながってもいる。
議員二人と始めた森を守り育てる活動(朝霧森林倶楽部)、
タイ東北部の農民自立支援(島岡基金)など、
それらすべてが島岡さんの「生き方」を語るものである。

妻・和子さんとの二人三脚もまた、
島岡さんの人生を語る際には欠かせない。
「農とは生きることを分かち合うこと」
本書には和子さんの金言が散りばめられている。
もし本書を手に取られたら、
まずはブックカバーの表裏の写真を見て、
次にカバーを外してみてほしい。
手をつないだ二人の笑顔が目に飛び込んでくる。

不屈の魂とはじける笑顔で、
島岡幹夫は「生きることとは-」を、
私たちに投げ続けてくれる。

島岡さんは今年の春、旭日双光章を叙勲した。
島岡さんにお上からの勲章は似合わない気もするが、
その生きた軌跡が今、誰もが認めるところとなった、
ということにしよう。
しかしもっと大きな、無形の感謝が
島岡さんを包んでいることも、
勲章を授ける人には知っておいてもらいたいと思う。

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